淡谷のり子の若い頃

淡谷のり子さんは、青森県出身の歌手で、シャンソン界の先駆者として、戦前から世紀末まで活躍されました。

「ブルースの女王」と称され、「ブルース」と名の付く曲を何曲も出し、その都度ヒットさせていきました。

その独特の歌唱と、たたずまいがものまねの対象となり、晩年は、ものまねのプロからまねされることが多かったことでも知られています。

1999年9月22日に92歳でお亡くなりになられましたが、現在でも記憶に残る方の一人です。

そんな、淡谷のり子さんの若い頃は?

若い頃の画像は?

⇒このページでは、淡谷のり子さんの若い頃が色々気になりましたので、調べてみました。

淡谷のり子さんは若い頃はまさに「ブルースの女王」

淡谷のり子さんは、若い頃は、「ブルースの女王」と称されました。

まさに、シャンソン界の先駆者として、前人未到の道を進まれた方です。

「ブルース」と名の付く曲を何曲も出されています。

  • 別れのブルース(1937年)
  • 雨のブルース(1938年)
  • 想い出のブルース(1938年)
  • 東京ブルース(1939年)
  • 満州ブルース(1940年)
  • 嘆きのブルース(1948年)
  • 君忘れじのブルース(1948年)
  • 忘れられないブルース(1960年)
  • 遠い日のブルース(1963年)
  • 灰色のリズム&ブルース(1971年)

代表曲から抜粋しただけでこれだけの数があります。

ちなみに、「ブルース」とは、四分の四拍子の哀愁を帯びた歌曲で、アメリカ黒人に歌われた哀歌ということです。

ジャズの音楽的基盤になったともされ、19世紀半ばにアフリカからアメリカに連れてこられた黒人奴隷の労働歌に起源を持つブラック・ミュージックです。12小節単位の基本形、ブルー・ノートの使用などの特徴を持ちます。

淡谷のり子さんは若い頃出したヒット曲2選

淡谷のり子さんが、若い頃出した曲は、軒並みヒットしましたが、その中でも、今でも記憶に残る名曲を上げるとすれば…

  1. 別れのブルース  1937年リリース。コロッケほかたくさんの方のものまねレパートリーでもある事でも知られています。
  2. 雨のブルース  1938年リリース。服部良一さん作曲 こちらも名曲です。

淡谷のり子さん 若い頃の画像 容姿

そんな淡谷のり子さんの若い頃の画像は?

若い時の画像を見ても、先駆者らしい姿で、貫禄を感じます。

写真の感じから、戦前の写真ではないかと思われます。

異国文化を取り入れ始め、成熟したころだったのではないでしょうか?

まとめ

淡谷のり子さんの若い頃に関してまとめました。

なくなられて、大分立ちますが、記憶は色あせません。

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